火葬式という見送り方
母の余命がそう長くないということになってから、亡くなった後をどのような段取りにするかを考えていた。
これまでいろんな方の葬儀に出てきた。
昔の会社の先輩の奥様とか、元同僚のお母さまとか、ご本人には一度もお会いしたこともないにも拘わらず、知らされると参列してしまう。
そういう葬儀も否定はしないが、自分の母の葬儀は身内だけでこじんまりとしたかった。
インターネットで調べていると火葬式というお通夜も告別式もやらないで火葬場でお坊さんに拝んでいただいて火葬するというものがあることを知った。
ネット上でそういう簡単シンプルな葬儀を行う葬儀屋さんを定額で紹介するサービスがいくつかある。
そのうちのいくつかを比較検討し、14万8千円というお手頃価格のところにお願いしようと思っていた。
商流としては次のようになる。
(私)→(紹介会社)→(葬儀社)→(火葬場)
→(お坊さん)
火葬式の流れとしては次のようになる。
死亡連絡→迎え→打ち合わせ→遺体安置→納棺→(読経)→出棺・火葬→拾骨・散会
上記すべてに葬儀社の担当の方がついてもらえ、役所の手続きも代行してくれる。
亡くなったのが急でしかも夜中だった。
大阪の病院に兄夫婦が駆けつけ、私の方で葬儀手配をした。
死亡連絡を紹介会社のフリーダイヤルに入れたのが夜中12時ごろであった。
やってもらえること、やってもらえないこと、費用の確認など電話でスムーズに行え、夜中の2時半には紹介いただいた葬儀社から病院にお迎えに来ていただいた。
読経していただくお坊さんも宗派を伝えて手配してもらった。
読経はお坊さんに戒名なしで定額3万5千円となり、お布施として直接渡すことになっている。
戒名は東京の納骨予定のお寺でもらっていたため、戒名はなしでお願いした。
普通ならお布施にいくら包むか悩みどころである。
「お気持ちで」などと言われると更に困ってしまうが、予め値段が決まっていると気が楽である。
どこの紹介会社にするかとか、そこから紹介される葬儀社や担当者によってバラツキはあるとは思うが、全体的には大変満足のいく選択だった。
ほとんどの紹介会社は事前予約しておくと、いくらか安くなるようなので、そのような状況に置かれた方は電話で相談してみるとよいと思う。
延命処置をしなかったことに後悔なし
先月、母を看取った。急性循環不全で享年84歳。
数年前からアルツハイマー型認知症にかかり、半年前から病院で入院していた。
入院までの数年間、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)にお世話になっていた。
白内障と緑内障でほとんど目が見えなくなり、転倒して頭を打ち硬膜下血種になるなどして、食事も普通に取れなくなってきたため入院となった。
入院当初は看護師さんに怒ったり、お見舞いにいくと憎まれ口をたたいたりもしていた。
食事は配膳されたものを食べていたが、それも少しずつ喉を通らなくなってきたため、点滴をすることになった。
いわゆる抹消点滴というやつで、これも延命処置の一歩といえばそうなのかもしれない。
しかし、これ以上の延命処置はしない旨を主治医にお願いした。具体的には、中心静脈注入や鼻チューブ、胃ろうなどである。
抹消点滴に比べると高カロリーの栄養を注入できるが、感染症になったり逆流性誤嚥性肺炎になったりなど苦しむことはあれ、いいことは何もない。
胃ろうは元々、子供が使用することを想定して開発された処置であるものを、いつの間にか終末期医療にも使われるようになった経緯がある。
QOLが回復する見込みがあるならまだしも、それが見込めないなら実施すべきではない。
食物を自分で食べる力がなくなっていくことは、生命力が落ちているということであり、衰弱して命を終えるというのが自然の摂理である。
自然の流れに逆らい、人工的・強制的に栄養を注入して心臓の鼓動は継続できても、生命力が回復することはない。
このような考え方は、欧米先進国では一般的な考え方になっている。
英国や北欧のように医療費が無料の国では、一人一人の医療費が膨れ上がると国全体の社会保障システムが崩壊するというリスクを背負っている。
一方、米国のように医療費負担が極端に高い国では個々人が負担できる医療費の限界というものがある。
日本の場合、医療は非常に低負担で受けることができるため、医療費抑制という考えに至りにくいというのもある。
日本の医療費の6割は65歳以上の高齢者にかかっており年々増加している。
医療費抑制という観点でも終末期の延命処置に対する考え方を見直す時ではないだろうか。
母の場合、半年前の入院当初は、食事+抹消点滴だったのが、だんだん食べる量が減り、低栄養状態で体重も30kg位までになった。
抹消点滴だけでは代謝に必要なカロリーを賄え切れない状態になり、点滴もうつ場所がだんだん少なくなってきた。
その段階で主治医から延命治療に関する再確認もあった。
入院した病院は急性期病院であったため、原則3か月たったら転院しなければならなかった。
そのため転院可能な慢性期病院を探すなど準備をし待ち状態だった。
転院先の病院から空きがでた旨連絡が入ったものの、主治医の判断で転院する体力がないし、行く先も短いからということで転院中止となった。
そうこうするうち、低栄養から血中酸素濃度が低くなりはじめたのが亡くなる2週間位前のことである。
話かけると手足を少し動かすことはあれど、意識はほとんどなく苦しむことなく生を終えた。
延命治療をしていれば、あと半年か1年は生きながらえたかもしれない。でも、そのような生にどんな意味があるのだろうか。
延命治療をしなかったことに何も悔いもない。
母のリビングウイルは無かったが、私が母の立場ならそう選択したであろうし、自分に対してもこの先のリビングウィルとして、延命処置は望まない。
※上記はあくまで経験に基づく個人的な見解にすぎません。記載内容の正当性は各自でご確認願います。
ストックホルム旅行記 ~11日目(2016/7/14木曜日)晴れ
ホテルを11時ごろチェックアウトし、スーツケースを19時ごろまでホテルで預かってもらうことにした。
・森の墓地
ストックホルムに世界遺産があればこの際行っておこうと思い調べた。
以外とストックホルム近郊に少ないが、スコーグスシュルコゴーデンという「森の墓地」が、地下鉄で南に15分ほどの郊外にあった。
駅からすぐのところの入り口を入ると、緑の絨毯と森が広がる広大な公園のようなところに大きな十字架が目に入った。
更に進むと、あちこちに四角い石板の墓標が数えきれないほど立ち並んでいた。
1940年ごろ有名なデザイナーの設計で作られたモダンな雰囲気で、暗さや寂しさをまったく感じさせない。
どこからか、遠くの方でバッハのクラシック音楽が聞こえてきたので、そちらに行ってみた。
どなたか亡くなった方の埋葬のなため20人くらいが集まっていた。
よく映画で見かける西洋の埋葬の風景だった。
・帰国
帰国のフライトは22:40。
19時ごろホテルでスーツケースを受け取り、アーランダ国際空港にバスで向かう。
オンラインチェックインしているので、荷物を預けてスムーズに搭乗することができた。
帰りは日本人旅行者がツアー2組含めて何人もいた。
ドーハからはストックホルム以外の国からの乗り継ぎもあるので、更に日本人が増えて乗客の半分くらいになった。
腕時計は日本時間のままにしていた。
羽田到着時の日本時間は23時ごろなので、時差を調整するため17時間近いフライト中は映画をたくさん見て、なるべく眠らないようにした。
(おかげで帰国してからの体内時計はすぐ戻った。)
長時間フライトは、チェックインの際に通路側の席に変更しておいたので、トイレの心配もなかった。
長時間フライトの座席は、真ん中の列の通路側の席がベストであることを肝に銘じた。
トイレに遠慮せずに行けるし、他の人がトイレに行くために避けることも少ない。
(おわり)
ストックホルム旅行記 ~10日目(2016/7/13水曜日)曇り
今日はお土産を買う日にした。
スーパーを3軒ほどはしごしてお土産を買った。
ラズベリージャム、はちみつ、サプリメント、紅茶などは日本で買うより安かった。
妻が大好きなオシャレな柄の缶ケースや知人向けに頼まれていたダーラホースなどをガラムスタンのお土産店で購入した。
我が家の愛犬のん(ヨーキー)は、私や妻が海外から帰ってくると必ずスーツケースの中を麻薬犬のように嗅ぎまくり、自分のお土産のぬいぐるみを探すのが恒例になっている。
のんちゃん用のダーラホースのぬいぐるみも購入した。
ガラムスタンでは前に立ち寄って気になる油絵があったのだが、何度かガラムスタンへ行った時にそのギャラリーを探していたが見つからなかった。
ガラムスタンは細い道が入り組んでいて、ギャラリー、骨董店、土産店、雑貨店がいくつもある。
古い石畳の道なので歩きにくい。
探していたギャラリーは、以外と大通りの入り口に近いところにあった。
数日前に立ち寄った時は若い女性のアルバイト店員だったが、今日はオーナーらしき男性店員だった。
片言の英語で説明を聞いて、価格交渉も行い、17000クローナを少しディスカウントしてほしいといったら、カードはAMEXではなくVISAかと聞かれた。
VISAなら16000クローナでいいと言ってきた。
理由は聞かなかったが、AMEXの信用が低いのだろうか?
持っているカードはVISAだったので、16000クローナで購入することにした。日本円で約20万だ。
絵は額無しで郵送してもらうことにした。送料はFreeとのこと。
明日、往きと同じルート、同じカタール航空で予定通り帰国することになった。
カタール航空の現地サイトでオンラインチェックインをした。
予約時の座席は窓側だったが、長時間フライトとなるため帰りは真ん中列の通路側の座席に変更した。
ホテルの地下1FにPCとプリンタがあって自由に使えたので、日本から持ってきたUSBメモリにEーチケットをPDFファイルで落とし、印刷することができた。
(つづく)
コペンハーゲン旅行記 ~8日目(2016/7/11月曜日)晴れのち曇り一時小雨
ストックホルムからコペンハーゲンへ飛行機で日帰り旅行をした。
スカンジナビア航空で片道1時間ほどで行ける。
Expediaで往復日本円で約31000円。
コペンハーゲンについてまずストックホルムと違ったのは、いろんな人種がいることだった。
アジア系、中東、アフリカ系と使い古された言葉だが、人種のるつぼと化している。
月曜なのに街には人があふれていて、ちょっと怪しそうな人もちらほら。
自転車で回ろうと思っていたが、人が多すぎて自転車の人は街中は押して歩いているので歩くことにした。
コペンハーゲンカードというなんでも使えるカードを空港で購入したが、空港までの行きかえり以外地下鉄に乗らなかった。
観光地やお店はほとんど平坦で歩いてぶらぶら行ける距離にあるので便利は便利。
空港から東京と同じメトロと呼ばれている地下鉄に乗ったが、事前に知ってはいたが改札がないのは不思議な感じだった。
車掌が検札に来ることがあるらしいが、行きも帰りも車掌には合わなかった。
旅行者は切符を買ったり、地元の人はSUICAのようなカードをホームの入り口にあるカードリーダーにカードを読み込ませる。
ゾーン制になっているため、2ゾーンなら2回読み込ませるという仕組みになっている。
今回はパスを購入しているので、そのままスルーで乗車した。
・ラウンドタワー
街並み全体は、高さの36mラウンドタワーに登れば一望できる。
ストックホルム同様、高さ制限があるのだろう、教会の塔がところどころ高いが、それ以外は高層ビルはない。
17世紀に作られた石造りのヨーロッパ最古の展望台で、一番上まで行くと古い望遠鏡があったが、今は使われていない。
どうして階段ではなく、坂道にしたのだろうか。
石造りの坂道がスパイラル状になっていて、昔ロシアのピュートル大帝が英国に行く途中、馬で駆け上がったそうである。
最上階で初老の日本人男性がヨーロッパ人の若者に日本語で何やら話していたのが聞こえた。
ストックホルムよりも日本人もよく見かける。
自転車に乗っている人は、ストックホルムよりも少し多い。
地下鉄にも自転車で乗ってくる人がいた。
自転車道はストックホルム以上に整備されているが、駐輪場は東京と同じような状況だ。
街中でも電車の中でも、犬を連れた人が多いのは、ストックホルムと同じだ。
コペンハーゲンの街中のトイレは、ストックホルムよりも多い気がするが、広場の地下にあったり、トイレの形がストックホルムのように一定していないため、探すのに少々苦労したが、数はストックホルムより多い。
セブンイレブンは、コペンハーゲンでも目についた。
売っているものはストックホルム同様、飲料やサンドイッチなどの軽食、おやつが主で日本のコンビニよりはキオスクに近い。
ただ、ストックホルムには置いていなかったカップラーメンがあったので、日本円で300円以上したが購入。
ストックホルムに帰ってからホテルで食べよることにした。
雑貨店が多く、雑貨目当ての観光客にとっては楽しい。
日本人観光客もチラホラいて「ヤバいよね~」などという日本語が聞こえてきた。
ただ、私からすると、置いている商品やお店の雰囲気は、無印良品に似た感じのお店が多かったように思う。無印良品が真似をしているのか、世界的な流行なのか。
・ロイヤルコペンハーゲン
ロイヤルコペンハーゲンの本店に行った。
繁華街の中にある周りより古びた建物。
隣が銀食器ブランドのジョージ・ジャンセンだが、中に入ると繋がっていて自由に行き来できるようになっている。
1Fが通常の食器で、2Fと3Fがアウトレットになっている。
アウトレットでも、どこがアウトレットなのかと思うほど完成度は高いものばかりだった。
思ったより大柄の食器が多くて、欲しかった細かな柄の食器が少なかったので何も購入しなかった。
・カナルツアー
カナルツアーを窓口に並んで申し込もうとした時、中国人の数人の女性グループがいて、並んでいる私の前に割り込みそうになった。
中国では普通に良くあることなので、割り込まれないように咄嗟にガードをしたので、割り込まれずに済んだ。
中国人の論理では割り込まれる方が悪いという変な理屈なので、彼女たちにとっては普通のこと。
カナルツアーは1時間ほどかけてコペンハーゲンの運河を船でめぐるツアー。
ガイドはほとんどがデンマーク語だったためか、折り返し地点での乗り換えの案内が乗客に伝わっておらず、全員が30分ほど折り返し地点で次の出発まで待たされたアクシデントもあった。
・深夜のストックホルム
コペンハーゲンからのフライトが22:45発だったが、30分くらい遅れた。
1時過ぎていたが、アーランダ空港から中央駅までの電車はまだあったが、中央駅からの地下鉄は1時半で流石に終わっていた。
タクシーにしようか迷ったが、ストックホルムは治安も良いし、徒歩20分ほどなので歩いてホテルに帰った。
普通のお店は18時くらいで閉まるので、空いている店はないだろうと思ったが、ホテルの近くの飲み屋はまだ空いていて欧米人がたくさんいた。
ハードロックががんがんかかっていて、深夜2時とは思えなかった。
歩いている人はちらほらいたが、特に危険な思いもしなかったが、やはりいくら治安がよくても海外での夜道はリスクが潜んでいるのでなるべく出歩かない方がよいと思う。
(つづく)
ストックホルム旅行記 ~7日目(2016/7/10日曜日)曇りのち晴れ
グスタフスベリという陶器メーカーの工房、アウトレットにいった。
グスタフスベリへは、Slussennで地下鉄からバスに乗り継いでいった。
バス乗り場がいくつかあったが、ストックホルムの交通事情にもだいぶ慣れてきたのか、特に迷うこともなく行けた。
バスは2台の車両が蛇腹で連結されたバスで、ストックホルムでは一般的なバスだ。
(写真は別路線を走っているバスで色は違うが同じ構造)
バスに乗るのは実は今日が初めてだったが、日本と同じ前から乗車し、カードをかざし、降りる前にボタンを押すと止まってくれる。
Accessカードも使えて特に戸惑うこともなかった。
スティグ・リンドベリというデザイナーのコーヒカップ6セットとテキスタイルを購入。
コーヒーカップは1セット日本円換算で4~5千円したが、日本のネットでは1万円以上で売っていたのを確認して購入。
アウトレットだけあって、柄が抜けていないか、刻印は鮮明かなどを確認して選んだ。
スティグ・リンドベリのコーナーにだけは日本語の価格表が貼ってあった。
それだけ日本人がよく買うのだろう。
観光か買付かわからないが、日本人も何人かいて、自分が持っていた買い物かごはどこにあるか日本語で聞いてきた。
日本人からすると、しゃべらなくても日本人だとなんとなくわかるものだ。
テキスタイルは日本円換算で幅1.5m×長さ1mで16000円近くしたが、妻のリクエストで、インテリアとして壁に張ったり、小物をつくったりするといっていた。
店員さんがサービスしてくれて実際の寸法は長さ1.5mくらいあるので少し得した感じ。
スウェーデンの店員さんは、全体的に笑顔で気持ちのよい応対をしてくれる。
iittalaのアウトレットもあったので入った。
iitatlaは日本で売っている値段とほとんど変わらないので買わなかった。
Rorstrandのおしゃれな柄のペーパーナプキン20枚入りを3セットで約1500円で売っていた。
日本のネットで調べると倍位で売っていたので3セット購入。
妻がおしゃれな柄の缶がすきなので、お土産用に1000円近くするが1つ購入。
グスタフスベリ全体で、お土産と転売用で6万ほど使った。
ちなみにTaxFreeができるか聞いてみたらできないとのこと。
TaxFreeは税関にもっていくまで開封してはいけないとか決まりがあるので、こういうところで買って自分で梱包するようなものはTaxFreeにできないのかもしれない。
(つづく)